何となく与えられたイメージを演じてしまう
石原さとみさん主演、2024年5月17日(金)公開の映画「ミッシング」が気になっています。
観たいけど、心がえぐられそうで、観るのがこわい。
主演の石原さとみさんは「母となった今だからこそ、この役と向き合えた」と語ったそうですが、すごい。私なんて、母だからこそ、観るのもこわい(でも観たい)。
娘が失踪し、出口のない暗闇に突き落とされた家族。
映画ミッシング公式サイトイントロダクションより
どうにもできない現実との間でもがき苦しみながらも、その中で光を見つけていく——。
失踪した娘を懸命に探し続けるが、夫婦間の温度差や、マスコミの報道、SNSでの誹謗中傷により、いつしか「心」を失くしていく母親…
我が子の失踪や、その後の展開を想像するだけでゾッとします。心臓がぎゅっとなります。でも、私の中の「知りたい」という気持ちが「観たい」気持ちを膨らませます。我が子の失踪を抱えた母親がどう日々を過ごし、変わっていくのか。
そんな中、この映画のストーリー紹介の中で;
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。
映画ミッシング公式サイトイントロダクションより
とあって、ドキッとしました。
「”悲劇の母”を演じてしまう」。
人は、まわりの視線や声かけ、ステレオタイプの通りに演じてしまうってことがあると思うのです。
この映画の、母、沙織里さんが”悲劇の母”を演じてしまうことほどの辛さや苦しみとは次元が違うと思いますが、私も「双子のお母さんは大変」という自分を演じていたように思えます。双子を連れていると、どこに行っても「大変でしょう?」と言われるのです。「大変かどうか」と問われれば確かに大変だったと思うのですが、私的には「2人きょうだい、3人きょうだいを育てているのとあんまり変わらないのでは?」と思っていて、「たぶん、そんなに特別大変ではないと思うんだけど」という思いがありました。でも、なんとなく「大変です」と「双子のお母さんは大変」を演じていた。大変である、とするのが正解のような感覚だったのかも知れません。自然と、イメージ通りの振る舞いをしていたように思えます。その当時からそんな感覚がありました。
もしかしたら、私はラッキーで、我が家の双子が育てやすかっただけかも知れません。
だから、「大変でしょう?」と言われることに違和感のようなものを感じていたのかも知れませんが、この映画の沙織里さんが、「求められる姿」を演じてしまう、そう振る舞ってしまう、という心理が分かる気がする。
ただ、今考えると、イメージ通りの「双子の母親像」を演じたり、そうした振る舞いをしたりすることで、自分の心の叫びや、自分に向き合うことから逃げてたのかも。
もしくは、そうすることで、承認欲求を満たしていたのかも知れません。
>> 映画 ミッシング公式サイト
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